東日本大震災被災地支援活動報告

■ 事務局 羽根田 浩司「宮城県医療支援に参加して」
<2011年 5月2日(月)~5月6日(金)>

JMATの一員として5月2日から6日まで(21陣・22陣) と参加してきました。
伊丹空港を出発し仙台空港で飛行機を降りた瞬間にテレビで見た以上の風景が目の前に広がり、何とも 言えない異臭が漂っていました。
道路わきには、鉄くずと化した車が何台も山積みにされ阪神淡路大震災の時の光景とはまた違うものを感じました。

21陣の先生方と一緒にジャンボタクシーに乗り込み道路がでこぼことした高速道路を通り約2時間半かけて石巻中学校へ到着しました。

石巻中学校で20陣の先生方から引き継ぎを受けた後、山下小学校、図書館、中央公民館の巡回診療にいきました。車を運転中瓦礫で視界も悪く、ほとんどの信号機は停電で消えており、 自動車やトラックが自由に往来して無人の交差点では自動車事故を見かけました。

避難所の図書館では、本棚と本棚の間で避難生活を送っている方や、ホールの脇で避難されている方や、中央公民館では大ホールに50人程度の方々が段ボールで間仕切りもなく、プライバシーが 守られていない中過ごされていました。

先生方が巡回診療をされている中、避難者の方々からは先陣の先生方のご努力のおかげでお礼を言われることもあり、こちらからお声をかけることが 非常にしやすかったのはとてもありがたいことでした。
避難所には、昼間は動ける方々は、自宅周辺の片づけや、仕事に行かれている方も多く、混雑した雰囲気は感じられませんでしたが、夕方になると人が続々と避難所へ帰ってくるため、狭いところに 大人数の避難者がいることもわかりました。

避難所には、食事が行き届いていると出発前には聞いていたのですが、避難所によっては、自衛隊の炊き出しが昼食と夕食の1日2回配給されているところもあれば、朝と夕方の1日2回の パンと弁当の配給しかないところもあり、栄養の偏りによる持病の高血圧の悪化を訴えられる方もおられました。入浴にしても、自衛隊の入浴施設が避難所によってあるものの、入浴施設まで 徒歩で行かないといけなかったり、また簡易浴場のため、介助がいる高齢者などは入浴できないと避難者の方からの声も聞いたりしました。

また、今回の震災で医療費が免除になることを知っている人が少なく、ほとんど家財が流されなくなっているため、診療を受けることを控えている方が多くおられました。津波の際、膝蓋骨骨折を していたが、痛みはあるものの動けるしお金を持っていないということで受診されていない方が避難所におられ、診察の結果すぐ手術が必要と思われる患者さんですら病院へ行くのをお金がないからという 理由で拒み続けられる方もいましたが、医療費がかからないことを説明し、何とか病院へ行っていただけるような状況でした。

避難所の管理をされている行政の方も遠方の自治体からの応援で日替わりのため、避難者への情報提供がほとんど行われていないような状況で避難所における情報伝達の難しさ、また、重要性が 問われていることを実感しました。

ゴールデンウィーク期間中ということもあり、大勢のボランティアも現地に来ていましたが、ボランティア団体がそれぞれで活動にあたっているため、避難所に同じような団体が重複して参加 しているかと思えば、別の避難所には、ほとんどボランティア団体が来ていない状態で、派遣されてくるボランティアを管理、把握できていないため避難所を管理されている方々も非常にとまどっている ような状況でした。

最終日、石巻中学校からの帰路の途中、日和見公園、石巻市立病院、海岸線沿いを通って帰ってきました。実際に津波被害にあった場所を近くで見て何とも言えない気持ちが込みあがって きました。『がんばろう!石巻』という看板が瓦礫の撤去された場所に立っており、これから先の被災地の復興を願い明石への帰路につきました。