レセプトオンライン化について

はじめに

平成18年4月、厚生労働省よりレセプトオンライン化に関する省令が告示され、経過措置期間を経て平成23年4月からは医科歯科全てのレセプトのオンライン請求が原則義務化されることになった。
医療機関から審査支払機関を経由し医療保険者まで一貫したオンライン化を実現し、レセプト情報のナショナルデータベースを構築・分析することにより、「保険事務の効率化とともに医療費の適正化、医療の質の向上等に寄与する」というのが大義名分である。今後、ほぼ全ての医療機関がこの対応に追われることになるわけだが、検討すべき課題や問題点も少なくない。

レセプトオンライン化の背景

平成18年1月、「IT戦略本部」が策定した「IT新改革戦略」で、オンライン方式による診療報酬請求が「緊急課題」として位置づけられた。「医療の情報化を通じて集積される診療情報、検診結果及び診療報酬請求データ等の健康情報を有効に活用」し、「医療の情報化の促進により事務管理経費を削減し、医療費の適正化を進める必要がある」とその狙いを明確に述べている。

また平成18年6月に成立した「医療改革関連法」で打ち出された
「医療費適正化計画、医療保険制度の都道府県単位化、特定健診・特定保健指導」とのリンク、より詳細な医療機能情報の提供、地域ごと・年齢ごとの新診療報酬体系への効率的な対応、指導・監査、立入検査等への効率的な活用、保険者機能の強化」

などの課題は、
診療報酬オンライン請求による「情報のデータ化、データの蓄積、、保険者への集中」
がなければ実現しないものである。 従ってレセプトオンライン請求は、さらなる医療費削減のための「前提条件」であることは明らかである。

韓国での実績

レセプトオンライン化については韓国での実績を抜きに語ることはできない。韓国では1994年に電子化に着手し、翌年12月から診療報酬請求・審査EDI(電子データ交換)の試験サービスを開始。1998年4月には全国拡大。2004年の時点で93.5%を超える電子化率を達成するとともに、世界でも最大規模の医療データウェアハウスを構築し、5年分の個人データ、38億件のレセプトデータが蓄積することに成功した。

事務経費削減額だけでも審査支払機関で年間16億円(実績)、医療機関で年間233億円(推計)となっているが、単に医療保険事務の効率化にとどまらず、医薬品の適正使用、疾病の流行把握、疾病管理等、医療の安全と質の向上のために有効活用されているという。

一方、日本ではレセプトの電子化に1983年に着手、1991年に運用開始したが、遅々として普及が進んでいない。レセプトオンライン化の前段階であるレセプト情報の磁気媒体での提出でさえ、参加しているのは医科で病院18.8%、診療所9.3%(2007年4月現在)にとどまっている。

日本で電子化が進まない理由

これに関しては「電子化を阻む複雑な診療報酬請求体系」「医療機関側のメリット」の二つの大きな理由がある。
日本の診療報酬体系は実に複雑でわかりにくい。日本も韓国も診療報酬は出来高払いとなっているが、診療報酬の点数表が項目数は韓国4400項目、日本が5000項目と日韓でそれほど差はない。最大の違いは加算項目で韓国では48、日本では約500の加算項目がある。

韓国では、『元となる点数+加算点数』、これを一つの単位としてコードを付与しているため、データ分析に適した形になっている。韓国の医療保険は単一組織による医療保険で、審査及び評価と支払を分離し、審査及び評価は健康保険審査評価院、支払は国民健康公団で行われている。日本と同様に出来高払い制だが、診療報酬の点数は固定され(五年程度のスパンでの改定のみ)、1点単価は毎年改定される。13桁の総背番号が付与され、5年間の個人データを管理している。統一した審査基準がインターネットで公表されている他、日本の支払基金にあたる「健康保険審査評価院」では審査基準を合理的なものとする研究が最重点課題として絶えず実行に移されている。

日本ではその加算一つ一つにコードを付与しており、点数表を忠実に再現した形だが、一定項目数を超えると包括化されるいわゆる『検査のマルメ点数』など、非常に複雑であり、単純な点数の積み上げのみで算定をおこなえる韓国と大きな差異がある。保険者も一本化されておらず、複雑な地方公費との組み合わせや請求用紙の様式など、保険者によっても統一されていない部分もあるし、通達の解釈も地域差があり、さらに審査基準も不透明である。2年に一回の大きな改訂では単純な積み上げとならずに複雑な計算ロジックを新たに組み込まねばならない場合も少なくない。 こういったことが電子化をより複雑にし、開発のコスト面などでも電子化や合理化を妨げる要因になっている。

また韓国では医療機関の導入を促進するにあたり、入金期日を40日から15日に短縮。入院請求は週単位でも可とし、優良請求は2年間審査免除、標準請求±10%は無審査などの施策をとった。これは医療機関側にとっては経済的メリットが多く、早期に普及を実現するきっかけと成り得た。それに対して日本では省令により義務化するのみで、導入に伴うコストも全て医療機関側の負担であり、電子化加算も初診の3点のみでは積極的に導入しようという動機付けに乏しい。韓国では診療報酬体系が我が国よりも簡素であることに加えて「オンライン化を推進した大統領の権限が非常に強い」ということと、「同時に反対を押し切って保険者の一元化も強行した」ということも早期にオンライン化を実現できた大きな理由である。

狙われる巨大市場

現在進行中のレセプトオンライン化にも「レセプト情報を活用した生活習慣病対策や疫学的研究等による医療の質の向上を実現する」とした崇高な目的の陰に、莫大な利権を求めてIT企業、保険者団体、企業が群がっていることは忘れてはならない。

例えばレセスタ。既存のレセプトコンピューターのデータをオンライン請求のために電子化するためのソフトで17億円かけて開発され無償配布されることになっている。ただし、実際の使用にはヘルプデスク料金として診療所で年間15万円、病院では年間数十万円以上の新たな出費が必要になる。最大の問題点はレセスタが対応しているのは大手7社(富士通、三洋電機、東芝、日本事務機、NEC、日立、NTTデータ)のみで、他の中小メーカーは除外されてしまっている。レセプトオンライン化で必要となる日本の医療機関全体でのコストは約650億円ともいわれているが、そこに参入・寡占しようという企業側の思惑が見え隠れしている。

社会保障費の削減政策で外資系を中心とした民間保険会社が大きく躍進し、貧富による医療格差を助長する下地が形成されつつあるが、オンラインレセプト化の先にある「レセプト情報の2次利用」は利潤を追求する保険業界にとっては、まさに悲願である。

またレセプトオンライン化以後のナショナルデータベースのシステム構築も、企業側にとっては莫大なビジネスチャンスでもある。かの悪名高き社会保険庁の年金記録管理システム(社会保険オンラインシステム)は、年間予算650億円前後で推移しており、のべ1兆3000億円もの巨費を投じてきたにもかかわらず、5000万件の宙に浮いた名寄せ失敗データが10年にわたり放置され、初めての土日に開いた年金記録照会システムが初日にいきなりダウンするなどの体たらくである。基幹システムを受注していたNTTデータの責任は重大なわけだが、一方で厚生労働省からの天下り先であることも指摘されている。レセプトオンライン化とナショナルデータベース構築は社会保険庁のシステムよりもさらに大規模なものとなるわけであるが、システム構築にあたって同様の黒幕の存在が取り沙汰されている。

オンライン化の先にあるものは?

レセプトをデジタル化すると、当然ながら保険者はコンピューターを使って審査を効率化する。疾病に応じた薬剤や検査のパターンを抽出し、それらをもとに診療報酬体系に反映させ、包括払いを促進することも可能となる。疾病の個別性を認めず、全国一律の基準で瞬時に審査・査定することで「標準的な医療サービス」から逸脱する過剰な支払いを抑制することができる。

保険適応病名の狭い薬品を慣行で使用せざるを得ない分野・領域ではレセプトへの注釈が相当数増加するわけであるが、レセプトへの注釈は合理的な病名コードが付かない限り尊重されず、次第に医師の裁量権は事実上制限され、包括化の範囲内での裁量権に変貌することは容易に想像できる。医療の標準化は同時に保険者の立場を強化することとなる。標準化した医療以外は不正請求の誹りを受け、医療監視が強化される。医師の裁量権がことごとく阻害される懸念がある。最低限の医療のみが保険適応となり、個々の患者に応じた柔軟な対応が許されないわけである。実際、韓国では標準化された医療以外は混合診療でまかなうことが当たり前で、公的医療で保証されるのは医療費全体の半分以下に過ぎない。しかもその公的部分でも患者自己負担は3~4割程度(医療機関の規模でかわる)となっていることは特筆しておきたい。

セキュリティーの確保も大きな課題である。レセプトデータは極めてプライバシー度の高い個人情報であるが、悪質なウイルス感染やサイバーテロを受けたら、多くの医療機関は予想もつかない被害を受ける可能性がある。このリスクを医療機関側だけに背負わせることにも問題が多い。

時代の流れとして、IT化で無駄な業務を効率化し、医療従事者の負担を軽減することになるのであればレセプトオンライン化にも賛成できる。しかしながら現行提案されているレセプトオンライン化は、医療機関のコスト負担で保険者側の業務軽減と審査強化が図られる構図であり、しかも診療内容や医療政策決定のための圧倒的なデータが保険者側にのみ蓄積されることになる。ナショナルデータベースを構築することは、医療費の国家支出を減らすこと以外にも、年金問題・社会保障・税金・治安維持などの問題も踏まえ、住基ネットで躓いた国民総背番号制を何らかの形で実現したいという政府の思惑もあり、今後も強力に推し進められていくと予想される。我々医療従事者としては、医療のIT化が一部企業を潤すことが主目的になって医療の崩壊を助長することなきよう引き続き厳しく監視していくことが必要である。医師の裁量権を守り、結果として国民に不利益のない政策が実現される取り組みが今後とも不可欠と考えられる。

文責 2007年11月 明石市医師会医療情報委員会
(2008年2月 一部加筆修正)

参考: